2009/10/30

お見舞い

イタリアで行われたパラサイクル世界選手権でご一緒した石井選手の所に「チャオ!」を言いに中野マッサーと行って来ました。
彼は中野マッサーの登場に驚いていましたが、いろいろ3時間ほどおしゃべり・・・
イタリアでの入院生活の事、食べ物の事、レース活動の事、いろいろ・・・
ただ、ベッド脇においてあるスーツケースを見て・・・
まだまだ、イタリア遠征は終わって居ない事も痛感しました。
首のコルセットを昨日から外しているそうですが、まだまだ辛そうです。
時間がかかりそうですね。
たまにご自宅にお帰りになって、精神的なリフレッシュも図れるそうです・・・

彼と話をして、私自身の顔の表情も先の見えなかった9月初旬の頃とは違っているとの事。
一番、来季に向けての状況が激しく動いていた9月・・・(この時点で決まっていないのはかなり厳しい状況…)
彼の看病もありますが、チーム関係者の所に出向いての挨拶、コンタクトを待つなど、精神的にも不安の毎日だったのを覚えています。
大怪我でまだまだ絶対安静が必要だった彼が、「宮島さん、良い話が出来て、来年に繋がるといいですね!!」「自分の事を大切に僕の事よりどんどん仕事に行ってください。応援してますから・・・」と病院から送り出してもらった事も思い出します。
世界選手権ロードもそうでした・・・

ゴール前の落車から、救急車での搬送、イタリアの田舎町での入院生活、そしてミラノの綺麗な病院での入院、そして日本と・・・
ご一緒してきましたが、まだ2ヶ月も過ぎていないんです。
でも、かなり濃縮された時間を過ごしたなと感じます。

2009/10/27

終わってすぐに次の準備・・・

いつもドタバタするのを見越して行動しておかないと・・・
免許の書き換え、国際免許の再発行、銀行カードの再発行などなど・・・
免許センターで違反者講習も受けてきました。
イタリアに行く際に、車を手放してしまったので日本ではここ2年間違反無しですが・・・

今回のジャパンカップ…
昨年は中野マッサーのお手伝いでしたから、今考えると指示系統は日本語でした…(当たり前)
しかし、今年はイタリア人マッサーの手伝いですから、そうも言ってられません。
まぁ、自分的にも何とか指示を理解は出来るようになってきたので、小さな脳みそをカラカラ言わせながら何とか、連携を取り無事に仕事を終えることが出来ました。
イタリア語に関しては、仕事に必要なキーワードは、この2年間の活動で理解できるようになっていますが、普段の会話は、まだまだのレベルです。

今回苦労したのは、ウクライナ人メカニックの質問攻撃…
「宇都宮の人口は、何人なんだ?」
「日本の携帯電話は何でSIMカードを入れ替えて使えないんだ?」
「この車の値段はいくらだ?」
「宇都宮からお前の家まで何キロだ?」
「レースは何人見に来るんだ?」
「このおかずはどうやって作るんだ?」

まぁ、目に付くもの気になるもの何でも質問してきます。
「何でぇ~??どうしてぇ~??」と・・・
最初は、「えぇ~っと・・・」と一生懸命答えようとしていましたが・・・
最終的には、「こいつ質問、真剣に答えなくて良いよ別に・・・」とマッサーのステファノの一言ですっきりしました。
結局答えは「知らねぇ~よ」になりました。

あと、ヴィスコンティやブローニ達が気にしていたのが、「何で日本人の女の子は、内股が多くて、靴の踵の部分が余ってガバガバな状態で歩いているんだ?」という事・・・
コトコト鳴らしながら、歩いている姿を皆気にしていましたね。
(全くの余談です)

こうして、たった4日間ですが、活動を共にした事(私の個性、仕事振りを各スタッフ、選手達に知ってもらった事)は、とても今後の活動に繋がる重要な事であります。

いろいろあったこの2009年シーズン、最後のレースで強引ではありましたが、流れを引き戻せた事は、大きかったです。

諦める要素は、ホントにいろいろありました。
非常に厳しかった現状を知る中野マッサー、永井氏(Positivo代表)、沖さん(イタリアにて自転車界の研修中)皆さんに「いやぁ~繋がりましたね・・・」と言われました。
様々なアドバイスや慰めの言葉を頂いていたのであります。

さてさて、来シーズンまであと2ヶ月となります。
いろいろ準備をしていかないといけないっす。

ブログのネタも少なくなるでしょうから、何かありましたら私にご連絡下さい。
日本に居ますので・・・

ではでは

写真は、ジャパンカップを熱心に見来ているファンの方から頂いたもの・・・
とても、マナーを守って選手に接する方でした。
ありがとうございます。

2009/10/26

シーズン終了

2009年ラストレースであるジャパンカップを無事に終えました。
ISD Cycling Teamでの仕事は、今回派遣されたマッサー・ステファノのサポート、そしてチーム全体のサポートでありました。
ISDとの仕事は初めてでありましたが、イタリアの各チームでの仕事内容は基本的に同じですから何とかスムーズに連携も取れました。
今回派遣された監督がウクライナの人でしたので、大会本部とのコンタクトミスなど小さなトラブルは、毎日・・・
しかし、最低限のご迷惑で済んで良かったです…

チームが日本に入る1日前に私は日本に戻りましたが、時差ボケはレースが終わっても・・・未だ解消できていません。
彼らは、時差ボケをお土産に本日早朝ホテルを後にしました。
チームスタッフ、そして選手の皆ともいい関係が築けました。

2009/10/24

大会前日

チームISDのお手伝いしてます
チームスタッフとの連携が重要…
明日、雨降らないと良いんだけど…

2009/10/21

結局一日がかり…

到着!
いやぁ~長かった・・・
(飛行機に乗っている時と位空港で時間つぶしが必要だったから)
ま、今年は「待つ事」が多い年だから問題ないけど・・・
やっぱり直行便が良いよなぁ~。
無事に帰れたので問題なし!!

未だに…

ミラノの渋滞を避けるために早朝に家を出発したのは良いけれど…
まだフランクフルト…
もうすでに家を出て14時間経過中…
これから12時間飛行機です。
時間に余裕を持てば乗り継ぎのドタバタは起こりませんが…
ま、帰れりゃ良いッス

2009/10/20

暇つぶし中

マルペンサにも早く着きすぎちゃった・・・
ので、空港で暇つぶし中・・・
ネットサーフィンしていると・・・
Giuseppe Martinelli とGuido BontempiがAstanaと契約のニュース・・・ 
彼らのチームでの活躍を外から見たいと思います。


あぁ~あ・・・
長い一日になるなぁ~



掃除とピザ

最後の追い込みです。
部屋の掃除、後片付けはきっちりやっておかないと…
格安で貸してくれた大家さん、紹介してくれたエッディ夫妻に迷惑をかけない為にも…
引越しには、慣れてきてしまっているけど、隅々まで綺麗にすると「あっ!俺結構綺麗な部屋に住んでたのねぇ」と気づく…
ってことは、いつも汚くしているという事…
反省。

で、最後の夜食は…
やっぱりピザ。
外食は、いつもピザ…
いつも頼むのは、フンギポルチーニとプロシュットのピザ…
お腹いっぱい。 

まるで、大晦日の大掃除を終えて、年越し蕎麦を食べるように、掃除してピザ食ってきました…

最後にチーム仲間達に帰国の挨拶の電話。
みなそれぞれ納得できない形でのシーズン終了となり、非常に残念な気持ちです。
未だ、来期のチームが見つからない選手達、優秀なスタッフがいます。
(最悪、仕事を変えないといけないと聞きました)
傷は深いです。
私自身も酷い目に合いました。
しかし、ここで出会った仲間はこれからも続くものです。
彼等とは、「また会おう!!」と最後の別れをしました。
皆がいい形で来シーズンを迎えられるように…
日本から祈るしかありません。

2009/10/17

挨拶まわり

昨日は教会の皆さんに帰国前最後のご挨拶をしに行ってきました。
彼らのおかげで、レース関係者以外の人達とコミュニケートできたのは、とてもありがたい事でした。
ブラジル人の底抜けな明るさに助けられました。
優しく話しかけてくれ、楽しくすごせました。
毎年、住む所が変わるのは大変ですが、部屋の掃除に追われてます。

強烈に空気が乾燥してきました。
季節が変わって行きます。

2009/10/16

帰国を前にして、イタリアでの活動に思う事…

このシーズンは、細かい事は、ここで書けない事がありますが、チーム活動が6月で休止していしまうという、有り得ない事が起きてしまいました。
実際、起きたんだから有り得ないという事ではなく、有り得る話になっちゃいますけど…
「この夏は、忘れられない夏…」すんごいネガティブな意味です…
暑い日に考え事をするもんじゃ~ありません。
実際、頭が溶けそうになる位、いろいろ考えましたから…


何とか気持ちを切り替えて、来季に向けての活動を目指し、イタリアでの生活をリセットしました。
3人で住んでいた家から一人で住む家に引越し、チケットを自分で用意…
しかしながら、簡単にはチームなんて見つかるはずもありません。
イタリアの自転車界、私の事なんて知らない人の方が多いのですから…
実際、「2008年からマッサーとして活動していた…」と話しても、「お前レースの現場で見た事無い…」と言われもしましたから…
せめて、今年一年シーズン最後までレース活動が続いていれば、良かったのですが・・・
 しかし、数少ないマッサー仲間のご配慮でレースの現場に引き戻していただけた事により(ミラノ近郊で行われる3連戦のレースに日雇いマッサーとして呼んで頂き)少し希望が繋がりました。
そこから、アマチュアのレース、パラサイクル世界選手権、そしてスイスの世界選ロードと・・・
正直言って、いろいろ悩んでイタリアに戻らなかったら、この続きは無かったでしょう。
厳しい現実として… 実際、ヨーロッパから日本に居る自転車レースの経験の無いマッサーに日本人の紹介無く、直接スカウトがかかることは、まず有り得ませんでしょう。
有り得たら、よっぽど優秀な方でしょう…(スミマセン私は脱帽致します…)
つまり、自分からチャレンジしていかない限り、実現できない事であります。
特に異国人ですから…
しかもイタリアだけをとっても優秀なマッサーは存在しています。
彼らには、多くのチームからオファーが届くそうです。
その中から自分の働く環境を見極めて、チームを選ぶそうです。
あくまでも単純ですよね。
(中野マッサーもその一人…)流石です。
実際の社会でもそうだと思います。
私はまだまだ…
しかし、こんな私を使ってみようと思ってくれるチームには、貢献しないといけませんし、しっかり働いて、評価されるマッサーになりたいと強く思っています。
だって、「これで飯食ってる!」と胸張りたいですから…
まだまだ…チャレンジは続きます。
乞うご期待っつう事で・・・


先日、39歳になっちゃいました。
青春真っ盛りです。
一人勘違い野郎ですが、自分の人生、これでもいろいろ考えてます。
あと5日で日本に帰ります。 
某チームでジャパンカップに同行させていただきます。

2009/10/10

人の繋がり、人の輪・・・

今日は、久しぶりにブラジル人達の集まる教会に行ってきました。
ブラジル人の仲間達は、私を温かくそして明るく迎えてくれます。
「マサ、よく来たな!」「久しぶりだな!お前何してたんだ??」などなど・・・
9月は、色々とレースが入っていたので、彼らに会うのも1ヶ月ぶりでした。
神父さんのお話は(説教?)もとてもエモーショナルです。
バンドの生演奏でキリストの教えを皆で歌います。
私は、イタリア語の解釈がまだまだですが(ポルトガル語ではありません)、知っている単語から想像して、「あ、今は人生について語っているんだな…」など話を聞くだけです。

少しずつですが、こうして友達、や神父さん達の輪の中に入ってこれているのはとても有難い事です。

自転車界にも、横の繋がりがあります。
特にイタリアの各チームは、スタッフ間のコミュニケーションも活発で、先日のレッジョエミリアでのレースの時も他のチームのマッサーも交えて、皆で補給地点の目の前のレストランで食事を取りました。
こんな中で、様々な情報が飛び交っているのも事実です。
そうしていくうちに、皆に認知されていくのです。
今年の活動が今まで行われていれば、もっとこの様なコミュニケーションも取れたでしょうが、残念ながらレースから離れてしまった時期があり、貴重な時間を無駄にしました。
しかし、リクイガスの中野マッサーのご配慮でまたレースの現場に顔を出す事ができ、そこでまた新しいスタッフ、監督達との出会いがありました。
素晴らしい経験を持つスタッフ達に顔を覚えてもらい、「あいつ元気にしてんのか?あいつチームは見つかったのか?」と気にしてもらえるだけでも、有難い事です。
来期に向けての就職活動、チーム探しに関しても、中野マッサーをはじめ、チーム監督達も気にしてくれ、そして動いてくれました。

決して私一人の力では、出来ない事です。
仕事を与えられたときは、評価される仕事をするのみです。
やはり、プロとして認められる働きをしたいと思っておりますので・・・
まずは、職場探しですけど・・・ね。

帰国まで残された時間も少なくなってきました。

2009/10/09

焦らせてはいけない・・・

今日も電車に揺られ、ミラノの病院へ・・・
石井選手のお見舞いです。
症状は、落ち着いてきているものの、投薬のコントロールがなされている為(痛み止めの調整です)、かなり辛そうな状況でした。
先日、伺った時は薬も効いていて、もう治っちゃったのかも・・・何て考えたりもしましたが、そんな訳ありません。
未だに、首、胸郭の固定はキツクされていますし、少し歩いてはいるものの、すぐに疲労困憊となります。
数週間ベッドに横になっての絶対安静状態が続いていたのですから、重力に逆らっての運動、つまり立位を取るという事は、それだけでかなりの労力を必要とされるのです。
どうしても、お見舞いに来てもらった方とお話をしていると、「無理して元気に振舞ってしまう彼の気質」がありますから、夕方になると身体がだるくなるようです。
当然、私にも元気な姿を見せてくれますが、痛みを我慢している姿は、まだまだ彼は怪我人であるという事を再認識しさせられます。
帰国の際にも、ドクターの付き添いが必要です。
早く治したい彼の気持ちと、焦ってはいけない彼の気持ちが、痛いほど良く分かります。
実際、日本に帰国できたとしてもまだまだ完治には、かなりの時間と我慢が必要になるのでしょう・・・

もうちょっと、でままだまだ・・・


2009/10/07

各駅停車の旅

今日は、人に会うために3時間半かけて電車に揺られてきました。
帰りも3時間半…
いろいろ考えると、特急や急行だけでなく、各駅停車の時間の流れも大切なのかな??

最近、電車に揺られる時間が多く、ボケぇーっと窓から外を眺めております。
と言いながら、単に各駅の方が運賃安いからなんだけどねぇ~



2009/10/04

電車で

今日は、家から電車で1時間弱のレッジョエミリアでのレースに行って来ました。
リクイガスの中野マッサーがレースに帯同しているとの連絡を受け、顔を出してきました。
電車で行くなんて、初めての事…
チームカーの待機所で待ち合わせをして、補給地点もご一緒させていただきました。
(レースのお手伝いはしていません・・・)
仕事のお邪魔をしてしまいました。

私一人では、決して話が出来るような相手ではない監督やチーム関係者とも中野マッサーを通じて、お話をすることも出来ます。
周りの様々なチームスタッフ達までも気にしてくれています。
とても有難い事です。

今年は私の所属していたアミカチップス以外にも大きなチームが活動を止める事も決まっています。
という事は、多くの選手、スタッフが来期のチームとの契約をから溢れ出る可能性があるという事です。
実際、我々のメカニックの中心的なスタッフもまだチームは決まっていないと今日、聞きました。
「話はあるけど、まだ契約を結んでいない…」
良く耳にする言葉です。
最終的には、サインをするまでは確定ではないという事…

当たり前ですが、厳しい世界です。

しかしながら、レースの現場に行くと他のチームのマッサー達が私の事を覚えていてくれ、「チャオ!マサ!!調子はどうだい??」と声をかけてくれます。
やっぱり現場は良いなぁ~。

※厳しい現実ですが、決して落ち込んだり、暗ぁ~くなったりはしておりませんので、ご安心下さい。

2009/10/02

超人??

ミラノの病院に転院した石井選手の様子を見に昨日、今日と泊りがけで行ってまいりました。
レース後、緊急に運ばれた病室とは違い落ち着いた雰囲気の病室で、石井選手は順調に回復を見せています。
しかしながら驚いた事に、車椅子を使い自分でトイレに行く事や少しだけなら歩く事も可能になっていました。
骨折部が多いので、先週までベッドで横になっているだけの生活だったのと比べると・・・
まるで別人です。
彼自身、身体が強い為骨折部の治癒も早いようです。
「いい身体を両親にもらった…」と言っています。

手術をすることなく、保存療法で今後は経過を見るという事ですから、もうすでに治療は始まっているという事です。
しかし、骨折部、肺気胸の痛みが治まってから今度は右前腕部の痛みが酷いようで、アイシングをしていました。
人間の身体は、ほんとに良く出来ていて、酷い痛みが治まると次に傷めているいる部分が自ら痛みを訴えかけてくるのです。
彼の身体の感覚からすると、臀部、腰部も怪しい…と
すでに自分の身体との会話が始まっているようです。

病院の医師も回復のスピードに驚いているようで、帰国日程の調節も有り得ない治癒のスピードの為に確定が決められないようです。
保険会社の医師と担当医の相談で決まるそうです…

世界選手権を終えて、彼と1週間ぶりに会い、一番状態の酷かった時との差に笑うしかありません。
救急車で唸っていた事も覚えていないそうです。

世界選の後には、彼を知る岩楯会長、斑目監督他、自転車関係者の方々が病院に駆けつけて下さった様です。
彼自身よく言うことですが...
「皆さんが応援してくれているから、自分は元気になるんですよねぇ~」
と…

そんな彼に私自身も励まされ、私のチャレンジを応援してもらい…
何だか、いつもの事になってしまいますが、元気をもらって帰っています。

10月に入り、シーズンも終わりが近づきつつあります。
もうちょっと、粘って・・・
気持ちよく日本に帰りたいです。

まだ、やるべき事は残ってます。